トロントのメディア・スタディーズについて カルチュラル・スタディーズとの関わりから
粟谷佳司
カルチュラル・スタディーズはひとつではないし、これまでも決してひとつではなかった
Stuart Hall
トロントにおけるメディアとカルチュラル・スタディーズ
現在のトロントにおけるメディアとカルチュラル・スタディーズの展開については、トロント市内にあるヨーク大学に設置されている独立大学院Social and Political Thought Programmeの存在を抜きにして語れなくなってきている。
The Social and Political Thought Programme Faculty of Graduate Studies York Universityは、ヨーク大学内部の人文社会科学の教員がそれぞれの所属と兼任で組織されている独立大学院であり、既存の研究ではおさまりにくいテーマが扱われている。ここからJody Berland(ヨーク大学Culture/Communication, Social and Political Thought, Humanities)、Janine Marchessault (ヨーク大学Culture/Communication, Film and Video)やGary Genosko(トロント大学Mcluhan Program in culture and technology senior research fellow)など現在のトロントのメディアとカルチュラル・スタディーズを支える若い研究者を生んでいる。
今回は、Social and Political Thought Programmeの出身者であるBerlandの研究から、グローバライゼーション、アメリカ合衆国のヘゲモニー、トロント・コミュニケーション学派の継承、などをトピックにトロントのメディア、カルチュラル・スタディーズについて考える。
ところで、カルチュラル・スタディーズとトロント・コミュニケーション学派は、その影響は指摘されているが、Raymond Williamsは有名なTelevisionにおいて、McLuhanのメディア論を技術決定論であると批判していて、両者は排他的なものであるとの考えも一部でされている。しかし、Berlandは、カルチュラル・テクノロジーということによって、トロント・コミュニケーション学派のMcLuhanやInnisを継承しながら、文化とテクノロジーの両方を視野に入れた研究をしている。
そこで現在の視点からMcLuhanやInnisを読み直すために常に参照されているのが、Henri LefebvreやDavid Harveyの空間論である。スペースということによって、グローバライゼーションのなかのカナダという具体的な問題にも応えている。またSimon Frithなどに顕著な、カルチュラル・スタディーズは社会をテクストのように解釈するという批判にも、テクノロジーや空間などの社会のマテリアルな構造と文化の問題を複合的に考察しているBerlandの研究は十分応えるものだと思われる。
グローバル・ヘゲモニー カナダとアメリカ合衆国
カナダという国でメディアや文化の研究をするとき、アメリカ合衆国の影響は計り知れないものがあるということに気づく。地図で見てもわかるように、カナダはアメリカ合衆国と国境が接しているが、問題はそれだけでなく、メディアに関しても合衆国の影響をダイレクトに受けている。
これは、最近いろいろなところで取りざたされているグローバライゼーション とも関係がある。トロント市内においては、テレビ、ラジオ放送のおよそ70パーセントが合衆国で作られたものであるという。
Berlandが言及するAMラジオの場合、The Canadian Radio-Television and Telecommunication Commission(CRTC)により、1971年1月から放送のライセンスをリニューアルするために放送のミニマム30パーセントは’Canadian content’にするということになっている。この’Canadian content’は音楽の場合、次の4つの基準がある。
1演奏や歌は、カナダ人によって演じられたものであること。
2音楽はカナダ人によって演奏されたものであること。
3歌詞はカナダ人によって書かれたものであること
4ライブ演奏は全体的にはカナダで録音されたものであること
ちなみにテレビの場合は、1970年には55パーセントの’Canadian content’の要求に対して、80パーセントものアメリカ製の番組がプライムタイムの英国系カナダ人に見られていたという報告もある。
また、カナダは合衆国のようなスター・システムが確立しておらず、高額所得者については税金も高いため、映画俳優、アーティストは、売れれば合衆国に移住するというパターンが定着している(最近の例では、マイケル・J・フォックス、ジェム・ケリー、アラニス・モリセットなど。但し歌手のセリーヌ・ディオンはケベック州に住んでいるようである)。そのわりに、アメリカ・ドルとカナダ・ドルの格差を利用して、ハリウッドはカナダで映画やテレビ番組を撮影している(『X ファイルズ』はブリティッシュ・コロンビア州のヴァンクーバーで撮影されていたらしい)。例えば、映画『タイタニック』のスタッフのほとんどがカナダ人であった。
このようなカナダの置かれた状況を背景として、Berlandはメディアや文化について考えている。
Cultural Studies誌(Cultural Studies.5/3.1991)でBerlandらが中心になった特集も、アメリカ合衆国のヘゲモニーにおいてカナダ文化をどのように考えるのかというものだった。この特集はポピュラー音楽産業の構造について何人かの研究者が寄稿している。Berlandは研究のキャリアをポピュラー音楽研究から始めている。彼女はこの論文で、1985年に締結されたカナダとアメリカ合衆国とのあいだの自由貿易協定(Canada United States Free Trade Agreement, CUSFTA)によるカナダへのインパクトについて取り上げている。これが進展したものが、メキシコも含んだ1992年の北米自由貿易協定(North America Free Trade Agreement, NAFTA)である。
つまりBerlandの議論は、CUSFTAの合意によってカナダの文化産業が打撃を受け、カナディアンのアイデンティティがなし崩しになったということであった。これは、先ほど見てきたカナダの文化産業のある種の空洞化によっても特徴づけられているものだと思われる。
彼女はカナダのレコード関係者のコメントを引用している。
「カナダは自由市場ではない。カナダは文字通り、第三世界と基本的には変わらない。私たちは、配給、製作を所有していない…」
だから、ミュージシャンにとってカナダで成功するということよりも合衆国での名声が重要になってきたのである。
カナダのグローバライゼーションについてのあるカンファレンスの記録においても、アメリカ合衆国、カナダ、メキシコ間の北米自由貿易協定NAFTAなどの貿易貿易における、グローバライゼーションやカナダのアイデンティティの問題に議論が集中している。
カルチュラル・テクノロジーと空間の生産 カルチュラル・スタディーズとトロント・コミュニケーション学派
WilliamsのMcLuhan批判
WilliamsはTelevision: Technology and Cultural Formにおいて、McLuhanのメディア論は、メディアを形式主義的に解釈しておりプラクティスとして見られないと批判している。しかしBerlandは、Williamsの「モバイル・プライバイタイゼーション」という概念やMcLuhanのメディア論を取り入れながら、メディアの実践のレベルを「カルチュラル・テクノロジー」や「文化的な生産cultural production」、特に「スペース」から考察し、両者は排他的なものではないということを示している。
「カルチュラル・テクノロジーズは、社会的な意味や可能性の集積所としての空間の生産−空間における人々や意味、物事の生産−を秩序づけ促進するようなマテリアルなコミュニケーションのプラクティスを形成する。」
カルチュラル・テクノロジーと空間の生産
Berlandは常に具体的なメディアや技術(テクノロジー)をその内容であるカルチャーが「空間」のなかでどのように作用しているのかについて考えている。これがカルチュラル・テクノロジーである。つまり、「空間」は「カルチュラル・テクノロジー」とは切り離せない。
「空間を占領し、空間を産出するメディア、しかもそれぞれのメディアに特有の表象の様式をつくり、特定の社会的価値や意味を構造化してくような独自の空間を産出するメディア。このメディアの特性を際立たせるために、彼女(Berland)は「カルチュラル・テクノロジー」という概念を提起するのである」(伊藤)
このような「カルチュラル・テクノロジー」は、トロント・コミュニケーション学派の議論を「空間」から読み直すことによって提起されてきた。
空間の生産、McLuhan、Innis
Berlandとトロント・コミュニケーション学派をつなぐのが彼女の「社会空間social space」の考え方である。それはトロントのメディア・コミュニケーション研究から「空間」を強調することによってそこに新たに光を当てるということである。
Berlandは、McLuhan、Innisなどのメディア、コミュニケーション論、Lefebvre、Harvey、Sojaらの空間論によりながら、メディアがさまざまな力が錯綜する「社会空間social space 」のなかで存在するものであるという指摘を行っている。そして、そのような空間のなかで意味やプラクティスがどのように作用するのかを「文化的な生産cultural production」と呼んでいる。
「エレクトロニック・メディアは、ある音とその聴取者のもとになる空間を作り出す」
このような空間についてはHarveyの「空間」、Lefebvreの「空間の生産」の議論からの影響が指摘される。例えば、Harveyについては、音楽の聴取listeningと空間の関係に関する部分の注釈で触れられている。
「空間の生産the production of space」とはLefebvreのタームだが、例えば、McLuhanをLefebvreに引き付けて解釈した次のようなくだり。
「つまり、彼(McLuhan)が言っているのは、メディアは、テクストやテクストの受容だけではなく、社会生活における絶え間ない感覚的、空間的な再組織化も作り出しているproduceということである。」
そしてこの後にLefebvreからの引用が続く。
またミュージックビデオについて考察した論文においても、McLuhanのメディアは身体の拡張であるとする議論を引きながら、身体はそもそも社会的なものとして媒介され拡張されるのだから、それは空間的な特性を抜きにしては考えることが出来ないということを明らかにしている。
Innisの継承
Innisについても、Berlandの議論のある部分の根幹になっている。彼女は、研究のキャリアの初期から常に彼に言及している。そして、Space at margin(1999)という論文のなかで初めてInnisに正面から取り組んだ。
トロント・コミュニケーション学派と呼ばれる広い意味でのメディア研究において、McLuhanと並び重要なのがHarold Innisである。Innisは経済地理学Economic Geographyを1930年代から1950年代にかけてトロント大学で教えていた(Davies.n.d.)。ちなみに、Berlandは自らの研究領域を、カルチュラル・スタディーズと、特に「コミュニケーションの地理学the geography of communications」と称していて、ここからもInnisと最近の地理学をメタファーにした空間論の影響が色濃く伺える。
Innisは、カナダでは交通史や基幹産物の貿易史の研究が知られている。center/marginといったイニスが用いるタームは、経済学のものであるが、もちろん、彼は、trade-routes, the alphabet, language, technology, space, time, oral traditionなどの歴史とコミュニケーションに関する研究も行っており(Davies.ibid.)、メディア研究においては、むしろこちらの側面のほうが知られている。1999年に出版されたInnisに関する論文集でも、コミュニケーションやカルチュラル・スタディーズとの関係についてもいくつかの章が設けられている。
彼女はここでも、Lefebvreらの空間の議論に引き付けてInnisを再解釈している。
「Lefebvre、Soja、JamesonのようにInnisは、空間それ自体の根本的な再概念化を要求する空間と時間の物質的で、存在論的なものを基礎とした関係を定義づけようとしている」
そしてInnisの空間についてのメディアをベースとした関係が扱われている。つまり、空間に偏向したメディア(グローバル化するエンターテインメント)は、時間の連続性を超えて空間に撒き散らされ、空間的拡張や経済構造を中心化するように働く。これは、ローカルでマージナルな商品を制限してしまうということである。
InnisにならってBerlandはcenter/marginというタームを使っているのだが、これは、ある経済構造(これがすなわちアメリカ合衆国のエンターテインメント産業)をメディアが空間的に拡張していくということでcenterがいっそう強固になるということである。Innisの考え方によると、空間を強調するメディア、道路やテレグラフ、エレクトロニック・メディア、プリント・メディアは、政治的経済的な中心化に有利に働くということであった。Berlandは、これを現在の観点からグローバライゼーションのメカニズムとして取り上げている。
そしてcenter/marginからは、アメリカ合衆国との関係において周辺としてのカナダの歴史的性格も論じられている。
まとめ
Barlandの研究は常に空間というものから社会を考えるということ。そこでのトピックは、グローバライゼーションを背景としたカナダと合衆国の関係であり、理論的には、トロントのコミュニケーション研究を空間の概念から再構成するということ。Berlandの研究は、他のカナダにおけるカルチュラル・スタディーズの研究者以上にトロントのコミュニケーション研究を継承するという意図が強い。彼女ほど、それを意識した研究を行っている人はいないからである。
研究会での報告 マスコミフォーラム・社会情報学会20010128を一部改稿
レジュメ2001@粟谷佳司
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