テレビCMにおける音と意味作用 ファッション・ブランドを中心に(1998)
粟谷佳司


 はじめに

 私たちは昨年、吉田秀雄記念事業財団に助成されて、テレビCMを音楽を通して歴史的、社会的、文化的に考える機会を持ちました。メンバーの報告の全体についてはいずれ別に機会になされることと思われます。とりあえず今回の報告では、私が担当しましたファッションブランドのCMの内容分析を中心に述べます。そしてCMに使われる音、音楽がCMにどのような機能と意味作用を果たしているのかについて考えてみようと思います。なぜなら、衣服やそれにまつわる様々な現象は私たちの文化や身体、男女の関係を考えるうえで重要であると思われるからです。ここで考察の対象とするのは、音楽と身体表現、そしてCMに現れる男女の関係性です。

1ファッションブランドCMにおける音楽との相関

分析したCM
株式会社ワールドからお借りしたビデオ(テレビCM用、店頭でのプロモーション用)

OZOC
奥井香プロモーションビデオ 94年 春夏
武田真司 95年 春
武田真司 95年 夏
相川七瀬 97年 ドーム篇 A type

アンタイトル
山口智子 95年 秋冬 ロフト篇シューステージ篇 15”60”
山口智子 96年 春夏 叫び篇15” 笑い篇15”60”
山口智子 96年 春夏 Umbrella&Shoes篇15”60”

ROOM INDEX
ハンソン 97年 30”60”

COR
りょう ブルーベア篇15”*2+60"

そしてビデオを分析する際の枠組みを次のようにしました。

分析項目
ターゲット世代・シルバー、中年、青年、子供、なし、不明
ターゲット性別・男性、女性、両方、不明
音情報・音楽、歌、インストサウンドロゴそれ以外タイアップ、ある、なし
映像情報・物語性、イメージ性、どちらでもない人物、ある、なし主人公、ある、なし、男、女、両方
言語情報・ナレーション、ある、なし、男、女コピー、ある、なし

分析

 ターゲット世代はすべて青年、性別は女性、インデックスはCMでは性別を読みとることが不可能です。これは、インデックスのナレーションとコピー、「Where is index」からもわかるようにブランドのイメージをCMにおいて伝える目的のためであると考えられます。(ハンソンは男性だが、どんな服かはCMからは読みとれません。なぜなら服がCMに登場しないからです。インデックスは基本的にレディースブランド)。

 オゾックの場合、ターゲット世代 ヴァーチャル世代 カラオケ世代 カラオケ、プリクラとタイアップ (インタヴューから)

 「年齢層でいうと10代、20代前半は、ストリート系のファッションの流れがあり、音楽シーンとファッションシーンでは、オーバーラップしています。その服を着た時にどんな音楽がバックにあるか、この音楽にはどんなファッションが合っているか。視覚と聴覚とで、伝えたり感じたりし合っている。両者は切っても切れない関係なんですね。」「CROSS M」1997/5月号

 音楽、歌なしがアンタイトル、オゾック(武田真司、これもタイアップ)、オゾックは全てがタイアップ、インデックスもタイアップ、CORは不明。

 オゾックは、出演者がタイアップ曲の演奏者と一致しています。

 「オゾックはトレンドを追いかけるというブランドコンセプトを持っています。起用する人にしてもその時その時で、タイミングを見計らってセレクトしていく狙いがありました」同上

 世代とCM における音楽の使い方に相関があります。

 「音とターゲットの共通項を見いだしていく、その効果を得られたのが、オゾックです。ターゲットは当初、プレ・ヴァンサンカンということで25歳まででしたが、今は結果的に高校生から22歳までです。この変化は、購買力のある市場に消費MDを合わせやすかったことと、テレビに関して反応しやすい層がその娘たちだったということによります」同上

 映像に関しては、インタヴューでは必ずしも服をきちっと見せる必要はないとのことでした。

 言語では、全てナレーションかコピーがありますが商品説明というより、曖昧な表現が多い。

2.音楽と身体表現

 ここでは音楽と身体表現の関係を中心に述べていきます。

 ここで見ていただくのが、テレビ・コマーシャルにおいてファッションと音を融合させて、1960年代から70年代のCMの転換期に登場したレナウンの「イエイエ」(1967年)のコマーシャルです。

 「イエイエ」のコマーシャルは、広告界に「イエイエ以後」という言葉が存在するらしいのですが、ことからもわかるように、「カラーCMであることはもちろん、リズミカルな音楽に乗せ、実写とアニメの組み合わせ、モデルと衣装との組み合わせによる目まぐるしい場面転換の連続により、身体を固定的な全体としてではなく、要素と要素とに分解し、自由に組み合わせ可能なものとして提示」(『消費社会の広告と音楽』32ページ)するという特徴を持っています。

 ここではCMに現れる身体表現について見てみましょう。内田隆三氏は『テレビCMを読み説く』(1997年)において、CMを身体と関連づけながら考察しています。内田は、テレビCMにおける身体像の変遷に注目しました。なぜなら、身体とは、まず第1に、文化的なタブーや規範の網の目によって取り囲まれており、そこから必然的にその社会のあり方や権力の影響を徴候的に示しているからです。例えば内田も依拠している、ミシェル・フーコーの権力論が有名でしょう。そして第2に、身体は社会の構成要素であり世界と関わりを持つメディアであるということです。これは、本稿の課題である「衣服」を考えるうえにも重要な意味を持つと思われます。

 内田はコマーシャルを分析する際に、CMに現れる身体の審級を次のような6つの段階に分類しています(典拠として「昭和のCF100選」など)。

 詳しい内容は省きますが、「イエイエ」はここでは、「・クールな身体」に分類されています。「クールな身体」とは、映像がアニメと組み合わせられることによって、不安定で多様な時空の中に表現され、「一貫した意味のない、軽くて、クールな<身体>」になるということです。

 音楽とナレーション

 映像と音楽の関係について見てみましょう。小川博司はこのコマーシャルにおける音楽について次のように述べています。

 「音楽は、エイトビートとフォービートが交互に現れるリズムで、短いフレーズを反復する「リフ」という手法が用いられていた。」(同書)

 「イエイエ」のCMにおいては、音楽のリズムと映像のカット割りが違和感なく調和し、「映像化」と「音楽化」とが密接に結びついているということです。

 内田のいうように、このコマーシャルはその後の消費社会を予感させるレトリックが使用されています。ナレーションは次のようです。

 ナレーションからもわかるように、身体が服の組み合わせと結びつきながら時間のリニアーな構造から切り離され、軽やかに振る舞う無意味さ(シニフィアンの過剰)が表現されているといわれています。これが現代のコマーシャルになると、インタヴューでも得られたのですが、もはや服を見せる必要も無く服の機能を説明する必要が無くなってきます。

アンタイトル(レディース・ファッション、出演者、山口智子)
95年 秋冬 ロフト篇 15”
カット数14 

95年 秋冬 シューステージ篇 15”
カット数15

96年 春夏 叫び篇15”
カット数11

96年 春夏 笑い篇15”
カット数11

 映像を見ていただければおわかりの通り、ほぼ1秒に一こま、1小節に1こまか2こまの割合で、画面がかわります。キーになる映像のカットの秒数が長い。それまでのカットはフラッシュのように細切れの映像が挿入されています。

最後の1こまは必ずメーカーのロゴ。

流れている音楽 95、96年ともに同じです。

ギターリフを中心とした、同じパターンを繰り返したものギターの高音とリズムを強調している

従来のCMなら男性が登場しても違和感がない(JCBカードの木村拓也のCMで流れている音楽など)

CMにおいては音楽のテンポに同期するかたちで画面が切り替わっています。ここでは身体は画面のカット割りについていけずにむしろ緩慢な動きにとどまっています。

画面の転換の早さは現代のCMに特徴的なようです。

オゾックの場合 相川 奥井

 オゾックの場合は身体の変化が音と関連づけられます。

 ナレーション「変わってみなよ、オゾックで」は、呼びかけ。実写とフィギュア。

しかしCMではどのような服なのかは明らかではありません。

 新たに誕生するというCMのコンセプト、そこで挿入されるものが壊れる音や映像から変化を強調しています。奥井のCMでもオゾックのタイトルロゴのところで、破れる音が挿入されています。

 オゾックで変わることができるかも知れない。しかし、どのように変わるかは不明です。レナウンのイエイエの頃のように、具体的にどのように変わるのかというところまでは説明されないわけです。むしろあくまで主体性を見る者(オーディエンス)に要求しているようです。このような効果によって、たとえ他の人との差異がなくてもオーディエンスは反対に自分で主体的に選んでいるという安心を与えられているのではないでしょうか。

3男女の関係

 ここでは、CMのなかに現れる男女の関係について述べてみたいと思います。従来のジェンダー論的なCM分析においては、かなり固定された男女のかたちが問題にされていましたが、今回調べた感じでは、男女のかたちの変化がCMに現れてきているのです。

 23区(オンワード)では、音楽、カーペンターズゆっくりしたテンポ男女の関係性(物語性)のなかで服のイメージを演出しています。樋口可奈子、辰巳琢郎、最近は玉置浩二にかわりましたが。

 ワールドのCMにおいては、オンワードの男女の関係性(物語性)の中から服を浮かび上がらせる手法が取られていないために、それがメタファーとして現れます。

 これは、かっこいい大人というワールドでのインタヴューで得られたCMのコンセプトと関係があります。インタヴューでは、テレビで見せるのは一人の女性、自立した女性のイメージを表現したいといわれていました。

 ここでのナレーションは

 「きっと自分を着てると思う」、「自分を自由に描く服」

 コピー

 「自分を自由に描く服。」(アンブレラ篇)

 ナレーションはあくまで、自律性、自由が強調されています。これは次のように言い換えることが出来ると思います。

 「自分を着てる」・自分で選択して着てる

 「自分を自由に描く服」・服によって自由に自分が変わることが出来る

 しかし一方で、衣服のジェンダー構築(マクラッケン『文化と消費とシンボと』)といわれるように、女性がビジネスの場でスーツを着用することによって、働く女性という印象操作(ゴフマン)を「男」に対して表出するという自由と制限を演出する服のアンビヴァレントな性格が出ています。CMでは自由のみが強調されていますが、実際には服がそれほど奇抜ではなく仕事で着れるということが念頭に置かれているわけです(インタヴューから)。

 オゾック(レディース・ファッション、出演者、奥井香(94年)、武田真司(95年)、相川七瀬(97年))

 次にオゾックでは、ビジネスの場で着る服というコンセプトに基づいて服が作られていないため、CMのトーンが微妙に変化しています。

 例えば、武田真司のCM、コピーで「好きだな、彼女の服。」ということによって男性の視線が挿入されています。しかし、「フェミ男」ともいわれる武田の視線は不安定でそのコピーはナレーションとしては挿入されていません。

 奥井香では「あの人が着てるのは、オゾックです」(男性のナレーション)

 これも声に電話とおぼしき処理が施され、表現は控えめです。声に関しては、宮台真司ほかのテレビCMについての研究があり、そこでは男性の声は女性の声に比べて人格性が出にくいので使用される率が高いという結果がでております。声については、これから考えてみたいと思います。

 COR(レディース・ファッション、出演者、りょう)

 CORになると、曲にあわせて踊るりょうと熊のぬいぐるみの男性(意味不明)、そしてブランド名のナレーションだけになります。

 上野千鶴子『セクシィ・ギャルの大研究』などのジェンダー広告の記号論的研究によると、

 「美女と野獣」・「男は大きく、女は小さく」

 ワールドのCMに関する限り、この定義はパロディ化されています(りょうのCM はまさに「美女と野獣」)。

 ワールドのCMにおいては、男女の関係性(物語性)の構築には向かわず、役割が明確ではなくなってきています(ユニセックス化してきている)。これはオンワードの「23区」やグリコの「ポッキー」のCMのように古典的な男女のかたちが排除されているわけです。それが音楽と結びついてズレが起こっているのです。



謝辞 株式会社ワールド・イメージコミュニケーション部の柴崎玲子さんには、お忙しいのにも関わらずインタヴューに答えていただき、貴重な資料を貸していただきました。感謝します。

なおこの報告は吉田英雄記念事業財団に助成されています。

マスコミ・フォーラム1998/5/16(関西大学)での報告 吉田秀雄記念事業財団には本報告の原稿が所蔵されています。広告音楽研究会の研究成果(2005.11刊)には未収録

研究会報告1998-2004@粟谷佳司



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